「2019年8月15日 川旅-24日目」【鏡沼キャンプ場~礼文島-1】

雲の向こうの太陽 川旅日記
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鏡沼キャンプ場での朝食
朝食後、礼文島と利尻島用に荷造り。

昨日、一昨日は一人で勝手に「利尻!利尻!」と騒いでいたが、利尻の前に礼文島に行く事にする。島には車は無しで行くので、自転車とキャンプ用品をいっぺんに運べるようにしなければならない。ちなみにカヌーも持って行かない。だから厳密には「川旅日記」は一時休止。
ココからしばらくは「島旅日記」。

キャンプ場を出て稚内に直行!のつもりがバイパスを逆方向に乗って20kmのロス…。
それでもフェリーの時間には悠々間に合う。

稚内フェリーターミナル
フェリーターミナルで無料の駐車場の場所を聞いて車を置き、
キャンプ用品を背負子にくくりつけ、自転車を持ってフェリーターミナルに戻るが、
荷物と自転車はフェリーターミナルに置いて、
車だけ駐車場に停めに行けば良かったんじゃないのか?
それか自転車はたたまずに背負子を背負って自転車に乗ってターミナルに行くか。
いずれにしても要領が悪い。Ferrino背負子はガッチリと体を包むようで
荷物の重さが苦にならないが、自転車を持って歩くのは苦労する。お陰で汗だく。

島に行く装備
稚内→礼文島→利尻島→稚内の14日間使える周遊券を買って、いよいよ出航!

天気が良くて気持ちいい
天気が良くて気持ちイイが、風は冷たい。
何しろ行き先は日本最北の島、礼文島だ!

フェリーから見る利尻島
利尻島も見送ってくれている。

礼文島の話をすると長くなるが、
まぁコレは書かないと話が進まないので書くことにする。

礼文島には大学3年の夏に一度行っている。
今年の旅でも釧路川を一緒に下ったMと、その時は自転車で
苫小牧→襟裳岬→稚内と北海道を縦断して、
「礼文島に行ってみよう!」なんて軽い気持ちで行ったんだと思う。
その時に泊まった宿「岬しれとこ」で24時間かけて礼文島を一周する!という企画に参加したボクは
歩き出して間もなく、足の裏に直径3~4cmのマメを2つ作って、
痛みに耐えながら知床→金田岬→スコトン岬→ゴロタ岬→澄海岬、と島の東側を回って
西側に入った辺りでとうとう進めなくなり、
その年の24時間コース挑戦者で唯一の脱落者となった。(Mは完歩した)
当時のボクは歩くことには少々自信があった。
しかし、それは何の根拠も無い、己を知らぬが故の過信に過ぎなかった。
絶対歩いてやる!という無駄な意気込みが足に負担をかけていたし、
靴も大き目で足に合っていなかった、と言い訳はいくらでもできるが、脱落した事に違いはない。
それまでのボクは「何をやっても人並み以上に出来るタイプの人間だ」と思っていた。
だけどちょうどあの脱落の頃からだと思うが、
「本当は人並み以上に出来る事なんて何も持っていないんじゃないか?」と
自分を疑うようになった。実際に大学を卒業してからのボクの人生はロクなものじゃなかった。
優等生気取りしかいない、気持ち悪い中学校のようなサラリーマン生活は
あっという間に脱落したし、
フリーランスのデザイナーとしては長いこと手応えを感じられないでいた。
おまけにバセドウ病なんかを患って、まともに運動もできなくなって、
山に行ってもクライミングをしてもカヌーに乗ってもすぐにバテる…。
富士登山も北上川の川旅も途中で挫折し、クライミングではアプローチでバテる…。
そんな自分にいつもイライラしていたし、他人に対してもイライラしていた。
そして「ヤッパリ自分はいつも脱落者なんだな」と思っていた。
別に礼文島での脱落が原因でないことは分かっている。まずは病気を治せば良い。
そして富士山も北上川も借りは返した。今はもう人並みには運動も出来る。
ただ「礼文島の借りを返していない!」という思いが、ずっと心に引っ掛かっていた。

何でこんなにも礼文島が引っ掛かっているのか。当時の礼文島では宿に泊まった客が島を去る時、
まだ残る他の客と宿の人とが全員で港に見送りに行き、見送られる側は船のデッキに出て
紙テープを投げる。そのテープを見送る側が拾って、お互いが少しでも長く繋がっていたい、
という思いで、船が動いてテープが切れるまで持っている。
港に居る人達は大きな旗を振ったりギターを弾いたり、トランペットを吹いたりして盛大に見送り、
「さようなら」とは言わず「いってらっしゃ~い!」「また来るよ~!」と叫び合い、吉田拓郎の「落陽」の歌詞を少し替えて「香深~発ぅ~♪稚内行きフェリィ~♪」と歌い涙する者もいた。
ボクは涙こそ流さなかったが、
「また来るに決まっている!俺だけまだ24時間コースが終わってない!」と心の底から思って
紙テープを握っていた。あれから23年の月日が経った。
「また来るよ」と言ったあの約束を果たしに行くつもりだが、少し遅すぎたのかもしれない。
「岬しれとこ」は今はもう無い…。だから誰にも伝わらなくても仕方無いけど、
とにかく今ボクは礼文島に行かなければならない。

夕方になって香深港到着。記憶がアヤフヤではあるが、港は23年前よりも拓けた印象。
すぐにバスに乗って緑が丘のキャンプ場を目指す。運転手にどこで降りれば良いかを尋ねると、
「香深井を過ぎたら声を掛けて、キャンプ場の近くで停めるから」とのこと。
礼文島のバスはバス停以外でも運転手に意思を伝えさえすれば乗り降り自由とのこと。
キャンプ場にたどり着いて管理棟で受付を済ます。明後日は予報通りに天気は荒れるらしい。
たぶんフェリーも欠航だろう、とのこと。まあ、それはそれで仕方無い。

島を旅する装備
ともかくボクは礼文に戻って来たぞ!!

柏田 洋志

1975年生まれ、東京都出身。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。企業にてパッケージデザインに携わったのち、1999年独立。企業や団体の広告デザインを中心に各種グラフィックデザインを行いながら、毎年夏には日本各地の川の上流から海へ出る川旅に出かけている。2019年現在、下った川は60本。三途の川を100本めとして、99本を目指す「川旅99」プロジェクトを進行中。

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川旅日記
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川旅99 – 日本の川99本を旅する –

コメント

  1. おかだま より:

    やっと島旅日記始まった!
    記憶が蘇る。
    こんないい島、なかなか無いね。

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